蜜月まで何マイル?
     “我儘な王様”
 


 半分くらいは意地からだろう、この寒々とした鈍色の空と向かい合い、それでもしゃんと真っ直ぐ立った小さな背中。
「る〜ふぃ〜。」
 いい加減にしなと、うんざり口調でかけた声が、聞こえていように反応しない。問題がなければ放っておくもの、そこが彼の特等席であり、日がな一日、何の変化もない海と空を、いつまでだって眺めていられるほど、妙なところに根気のある彼だってこと、重々承知のこの自分が、わざわざ諌めるような声を出してるって事は、と。そういう機微が判らないほどに、お馬鹿で鈍感な彼ではない筈なのだけれど。
「そういうのは“根気”とは言わないわよねぇ。」
「そうですねぇ。でも、妙なところで粘り強いのは確かですけど。」
「諦めの悪い馬鹿なだけよ。」
 辛辣な物言いをしつつ、でも。こちらさんだって心配には違いない。だからこそ、甲板を見通すには遠い位置に腰掛けつつも、引っ切りなしに“そっちの方向”にばかり顔を向けているナミであり。そんな捻った心配の仕方が何ともかわいらしいと、かすかな苦笑がついつい口許へ浮かんでしまうサンジであるらしく、

  「…で、やっぱり降
りそうにないんですか?」
  「サンジくんも存外“過保護”よね。」

 ちょいと呆れもって斜に構えた眼差しを向けたナミだったという、たったこれだけのオチのやりとりだけで、何が原因かが八割ほど判って。こちらさんは朝からずっといつもの読書にふけっていたがため、何がどうしたのかが全く把握出来ていなかった考古学者のお姉様が、分厚いご本の陰にて“くすっ“と笑った。

  “そっか。雪を待っている船長さんなのね。”

 ここいらはどちらかといえば暖かで、海域の区分から言えば“冬島海域”ではないのだが。それでも此処なりの“冬”ではあるらしく、空を覆う雲はどんよりと重いグレーだし、空気も冷たく、それにしては…風も波も妙に静かだ。強く吹きつける凍るような風とともに襲いくる“吹雪”は御免だけれど、音もなく降りしきる雪なら大歓迎だとばかり、勝手に心待ちにしていつもの羊頭に乗っかって“今か今かvv”と待ってる船長さんであるらしい。暑さにはあれほどにも弱いことと相殺されているのか、寒いのは結構平気な彼であり。しかもしかも、寒さの象徴である“雪”が大好物と来たもんで。
『ルフィがいた“フーシャ村”ってトコは、どっちかって言うと暖ったかいトコだったんだって。』
 こちらは雪国で生まれ育ったトナカイドクターさんが言うには、
『だから、雪って海に出るまで見たことがなかったらしくって。それでついついはしゃいじゃうんだって。』
 そういう場合、暑いのは平気だけど寒いのは苦手ってなるもんだろうにね、と。こちらさんはしっかりと暑いのは苦手なチョッパーがひょこりと愛らしく小首を傾げて見せてから、
『ナミの天気予報はいつだってほぼ完璧だし、俺の鼻にも雪の匂いは引っ掛からないからさ。』
 だから、残念だけれど雪は降らないと思うのになって、自分のせいか、若しくは力不足のように思ってか、不甲斐なさげな言い方をする可愛らしい子。ふしゅんと萎んだその鼻先へ、ついと差し出されたのがホカホカのパンケーキ。
『お前のせいじゃあなかろうがよ。』
 気にすんなと、短く言って。蜂蜜で雪の結晶マークを描いたホットケーキでテーブルまでを誘導し、背の低い彼専用の樽のお椅子に腰掛けさせてのおやつタイム。そんなホットケーキは他の全員へも供されたのだが、
『…この匂いにも戻って来ないとはね。』
 食べ物への鼻は船医さん並に鋭敏な筈が、やっぱりビクとも動かないまま。キッチンキャビンへ戻って来なかった船長さん。
「いっそ、クリマ・タクトでちょこっと降らせましょうか。」
 小さな船窓からでも一応はよく見える、グレーの空の手前に真っ赤に映える、シャツ姿の小さな背中。いくら本人は“平気だっ”の一点張りでも、もう半日もあんなところにいるのだ。早く引っ張り降ろさねば、このままでは風邪を引かない筈はなく。自分の得意技、お天気を操れる不思議な道具でささやかな雨や雪なら何とか出来るのだけれどと、言い出したものの、
「それもなぁ。」
 う〜んと小難しいお顔になったのが、狙撃手にして発明家の鼻高ウソップくん。そのお天気杖を作った当事者であり、だからこそのアドバイスかご意見かと思いきや、
「バレたら却ってヘコまないかな。」
 単純な奴だから簡単に引っ掛かるとは思うけど、だからこそナミがやったことだって判ったら、からかわれた誤魔化されたとばかり、猛然と怒るかも知れんぞと。いつもなら…冒険や戦闘にからまない話であるのなら、無責任なまでに楽観的な大言を並べる彼にしてはなかなか理に添ったことを言うと思ったら、

  「よく言うわよね。そもそも、あんたが火を点けたんでしょうがっっ!」
  「どひゃあぁぁあぁっっ!!」

 額の端っこに“お怒りの血管”を浮かせたナミさんから、そのタクトで静電気の稲妻を叩きつけられた発明家が“ひゃああっ”っと悲鳴を上げて目を剥いた。

  “あらあら、大変だことvv

 楽しそうねとにっこり笑ったロビンお姉様。…人体はいくらでも電気を通すので、あんまり過激な電撃って良くないと思うのですが。(苦笑…してていいものやら)








            ◇



 剣豪殿とて気がついてはいた。特に何かへ怒っていての“へそ曲げ”でもなさそうで、むしろ御機嫌なままに海を空を眺めているルフィならしいと。だから。頑丈な彼のことだから そうそう風邪も寄りつくまいと、気が済むまで放って置けばいいのだと、それこそ誰より重々判ってもいるのだが。

  ………そう。“だが”なのだ。

 肩越しにでさえ、こっちを見ようとしない小さな背中が、何となく落ち着けない。ああ、そういや結構 記憶にあるな、こんな光景
アングル…と。ふと思い出してしまったものだから。そこから何となく落ち着けずにいる。突っぱねられてるような気がして、向かっ腹が立ちかけているのか、それとも。こっちを向かない彼であることへ、心細さを覚えたか。
“それは無いと思うんだが…。”
 あの海軍基地の磔刑場で、海賊になった時に交わした約束は、彼をキャプテンと認めてこそ成り立った代物で。なかなか融通が利かない頑迷馬鹿な自分が、それまで飯の種にと狩っていた悪党たちの傘下に入るには、他でもない“自身”を納得させるための理屈というか…建前みたいなものが要ったから。眠くなったから寝るとか、そういう自然なことではない分、この大きな方向転換に馴染むまでは、随時そのお題目を唱えて自分に言い聞かせねばならないだろうよと思ってのことだったのだけれども。それから始まった冒険の日々はどうだったかと言えば、
“何かしら無理強いされたもんってのは、そういや一度もなかったかな。”
 むしろ。海賊なのだから人から疎まれるのも仕方がないし、命を張る覚悟があってこそ豪語していい肩書だってことも、卑怯上等、生き残った者がある意味で“正義”であるよな、どこか理不尽な世界だってことも。もしかしてルフィ本人以上に、判っていたし わきまえてもいたし。
“迷惑騒動になら、さんざん巻き込まれはしたが。”
 冒険とは名ばかりの馬鹿馬鹿しい騒ぎに引き摺り込まれもしたし、自分独りだったなら看過して通り過ぎたような“他人ごと”へ尽力させられる羽目にだって、何度遇
ったか知れやしない。下らないことでありながらクリアするには結構骨を折るような、そんな無茶苦茶にわざわざ自分から首やら足やらを突っ込む船長さんには、巻き込まれる度に彼を“船長”と認めた自分の選択は正しかったのだろうかと感じさせられてばかりいたものだが、それでも見切れずにいるのは…。
“結果として、見込んだだけのことはあった奴ではあったからだろな。”
 前向きなのに頑張っているのに、残念ながら力が足りない、障害物がデカすぎる。そんな人のためにと尽力するのが馬鹿なんなら、それで“馬鹿だ”と呼ばれるのは構わないかなと。そう思わせるよな、痛快なことが多かったからでもあろう。自分独りであったなら、斜
ハスに構えてやり過ごしただろうこと。そんな無謀なものに挑戦する馬鹿と、一緒くたにされちゃあかなわない。そんな風に断じて関わらなかったろうに。ウチの船長さんたら…そういうことが殊の外お好きなもんだから。しようがないかと、彼がやりたいって言うのならと、加担して来た自分だったけれど、ホントはね。見てみぬ振りをして、知ったかぶりな訳知り顔の大人になってくことこそが、腹の底にて何だかムカムカしてもいた自分だったから。
“ズルイのはお互い様、か。”
 船長
キャプテン命令だと、言われた訳ではないけれど。ルフィが決めたことだとか、ルフィはやる気満々らしいから言っても引くまいだとか、そんな言い方をして彼の尻馬に乗ってたのはこっちだって気もする。だって彼は、詰まらない些細なことほど手を焼かせるくせに、途轍もないでっかい勝負に際しては、誰にも頼らず、仲間たちを背に、真っ先に駆けてゆく人だから。仲間を信じていればこそ、無防備に晒している背中であると判っているし、冒険や刺激を誰よりもその身で体感したがっている、だからこそ海へ出た男でもあるのだから、振り返りもせず真っ先に飛び出してくのも道理ではあるのだけれど。
“………。”
 そのまま強靭な翼を広げて何処かへ飛んで行ってしまわないか。そうと思わせるほど、あまりにくっきりと“個”であり続ける彼なもんだから。
“そうなったら…俺はどうしたらいいんだろうな。”
 海賊狩りに戻って大剣豪への道をゆくのか? さぞかし地道な旅になるんだろうな。海賊になったことでこっちが賞金首になったから、挑みかかってくる雑魚には困らないだろうけれど、生きるか死ぬかなんていう大きな勝負には縁遠くなるに違いない。そんなことより、何よりも…、

  “張り合いってのがなくなるんだろうな。”

 ちょっとでも目を離せば何を拾うやら、自分が自身の周囲へ張り巡らせている隙のなささえ意味がないほど油断も隙もない船長さんに、さんざん振り回されつつも…充実していた航海だったから。………と、そうと思ったと同時に、
“何だかな。”
 苦笑する。そんな甘ったれたことを胸の裡
うちにて思う自分にだ。これも一種の余裕なのか、それとも名のある勇者と祭り上げられ、思わぬうちにも腑抜けたからか。強くなることにのみ執着し、翻弄され、様々なものへ飢えて飢えて、それでも…目指す野望だけは死んでも諦められず。さりとて、根が実直な彼に、仁義も何もなく荒廃し尽くしていた海という世界での軋轢は凄まじく。その身へ受けた歪みの重圧に、限界までぎりりぎりりと追い詰められて…人であることをさえ捨てようとしていた、そんな崖っ淵にて。現実世界から墜ちようとしかかっていたその身を、選りにも選って…夢食い少年の頓狂な野望によって拾い上げられようとは。

  “やっぱ。悪魔の息子だったってことだよな。”

 くつくつと。ついつい笑っていると、不意な気配がすぐ傍らで立った。
「なあ、ゾロっ。雪、降らねぇのか?」
 侭ならぬ現実に とうとう愚図り始めたか。それともお目付役のくせに何笑ってんのと、ゾロの態度へムッと来たのか。ゴムのひとっ飛びで みょんっと間近までやって来た彼であるらしく。
「さあな。ナミは降らないって言ってたんだろうがよ。」
 気温や湿気や風、気圧。そういったものに加えて、天性の感覚とやらまで繰り出して、野生のチョッパーよりも正確な予想を出せる“お天気の専門家”がそんな風に言ってる以上、素人の自分に訊かれてもなと。不確かな見解の割に、堂々とした応じで返す剣豪様。欲しかった答えではなかったせいだろう、たちまち“むむう”と判りやすくも膨れた船長さん、

  「そんなで良いのかよ。」
  「何が?」
  「ゾロだって“気”とかいうの、読めなきゃいけないんじゃないのか?」

 自分にはよく判んないけど、目には見えない気配みたいなものを、研ぎ澄ました感覚で拾うという技には違いなかろう。だったら、ナミと似たようなもんじゃあないのかと。この彼には珍しくも穿ったことを持ち出したが、
「残念だが、俺の相手はお天気じゃあないからな。」
「う〜〜〜っっ!」
 さすがに。それこそ…ナミやロビンが相手だったら、あっさり言い負かされてるところの剣豪でも。この無邪気な船長さんが相手なら、言いくるめるのも苦ではないらしい。膨れたお顔がますます幼く、そんな様子に笑みを誘われながら、腕に抱えていた毛布を肩に掛けてやり、
「大体、どうしてそんなにも雪だ雪だって騒いでんだよ。」
 ルフィの雪狂いは知っている。だが、降ってから騒ぐのが常であり、降りそうにないと言われてもなお、こんな風に待っているなんてケースは今までになかったことだ。それでと訊けば、

  「………だって、ウソップが。」

 少々口ごもりながらも、彼が白状したのが……………。






            ◇



  「一番最初のひとひらの雪に願い事を聞いてもらう?」

 電撃だけでは足りなかったか、掴みかったナミからの羽交い締めに、テーブルをダンダンと叩いてギブアップした狙撃手さんが白状したのが、そんなロマンチックなお話で。
「雨の滴のお話なら聞いたことがあるけれど…。」
 読書家のロビンさんは、何も学術書ばかりを読んでいる訳ではない。文学作品や御伽話の中にこそ、古い言い伝えや宗教上のタブー、生活習慣などが自然な形で綴られてもいるからと、そりゃあ多くのお話をご存じでもあって、
「最初のってものへ神秘性を持たせるのはよくあることだし、そういう伝説があっても不思議ではないけれど。」
それを、これまた…あっさり信じたルフィだったらしいというから穿っている。
「ほんっとに単純な奴なんだから。」
 どんなに腕っ節が強かろうが、懸賞金がかかっていようが、本人の頭の中は進歩がないままの子供よ、子供。鼻息荒く言い切ったナミさん。人騒がせなと怒っているのではあるが、下らないからというのではなくて…心配させるなと言いたいらしく。
「此処はグランドラインなんだから、馬鹿がひく風邪ってのだってあるかも知れないじゃないのよっ。」
 ややこしい心配の仕方であることよ。
(笑) そんな微笑ましさに頬を暖めていたロビンさんが、
「…でも。」
 ちょっとばかり。小首を傾げて見せる。

  「あの船長さんが“神頼み”なんて、何だか違和感があるのだけれど。」

 どんな強敵にも怯まずに、どんなに手ごわくても諦めないで。奇跡に頼らず、むしろ自分こそがその奇跡だと言わんばかり。何度でも何度でも立ち上がって自力で叩きのめす、伝説への階段を駆け上がってる真っ最中の雄々しき勇者。そんな人だと判っているからこそ、神憑りなことを信じてるなんて何だか不似合いだと感じた彼女らしいが、
「そっすか?」
 あれで、タナバタの短冊だの流れ星へのお願いだの、結構信じてるみたいですし。シェフ殿が くすすと小粋に笑って見せて。その笑い方がまた…自慢の可愛い坊やのことを“甘い甘い”と舐めるように語ってる、お母さんのそれにも似ていたもんだから、
「…そうね。戦いに関係がないところのことですものね。」
 勧められたアップルティをカップに受けつつ、皆から愛されている船長さんが、大きな毛布にくるまれている様に気づいて…やっぱり擽ったそうに笑ったお姉様だったのでした。




  「だからサ、ウソップが
   最初に落ちて来た雪に願い事を唱えたら叶うって言ってたからサ。」
  「(あんの野郎が…。)で? どんな願い事をしたいんだよ。」
  「言ったら何にもならないから内緒だっ。////////
  「ほほぉ。」
  「内緒だったら内緒なんだ。」
  「俺では叶えられないことか?」
  「………えと。////////


 困ったように俯いた船長さんの、丸ぁるいおでこへ。雪の代わりに降って来たものは…それは暖かく柔らかくって。そのまま掻い込まれた懐ろの深さと暖かさは、とっても格別だったから。


   ――― ま・いっか。///////


 あのね、ホントはね。皆の前だと照れちゃうゾロだから。でもって、結構寒いこの時期だから、皆とキッチンにいる時間がついつい長いと…あんまり抱っことかしてもらえなくて。だからね、早く暖かくなれってお祈りしようと思ってた。でもまあ、雪が降らないってことは暖かいってことなんだろし、こやって抱っこしてもらえたから、ま・いっかって思った無邪気な船長さんだったようです。ホント、早く暖かくなれば良いですねvv

   ――― でも、それだと こやって暖めてもらえなくなるしな。

 おやおや…vv ぱふんと頬をくっつけた胸板の温もりに“くふふvv”と笑って、贅沢なことを悩んでる、やっぱり我儘な王様であるようです。



  〜Fine〜  05.2.19.


  *寒い時ならではなお話を一席。
おいおい
   来週はまたまた結構な寒気がやって来るそうで。
   あ〜あでございますです。
   皆様もどうか、お風邪など召さぬようご自愛を。
(笑)

ご感想はこちらへvv**


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